誰かのために、あの人のために。
喜んでくれると思ったから、行動しました。
確かに、素敵で素晴らしい人だと思う。
だけれど、そこで少し考えてみてほしい、
その人は、誰かを自分よりも喜ばせたいと思ったのだろうか。
僕はこう思う。
誰かを喜ばせるということに、それ以上の喜びをその人は感じるのではないかと。
つまり、何が言いたいのか。
結論、自分のために人を喜ばせているのだ。
その人が別に良い人とか、悪い人とか、そういうことを言いたいわけじゃない。
世の中には、良い人や悪い人、たくさんの人がいる中で、
全ての人に共通して、皆、自分のことを一番かわいい(大事)と思っている。
と、思いませんか。
ということです。
たまに、自分のことを顧みずに、自己犠牲の精神で他人を助けようとする人がいる。
その人は、きっと良い人になろうとしている。
良い人だと、思われたいんだと思う。
それが自分にとっての喜びで、幸せなんだと思うけれど、
自己を犠牲にしてまで、人に尽くすことができる人は、
続けているとボロボロになってくる。けれど、自分で自分がボロボロの状態だと気付くことができない。
なぜだろう。その人は、良い人になろうと必死で、他人の事ばかり気にして、自分自身に火がついていることに気が付けないのだ。
縁があれば、誰かがそれを教えてくれるかもしれない。
けれどそれがなかった場合、燃え尽きてしまう。
自分を犠牲にしてまで、他人を助けることのできる人は確かに良い人なのかもしれないけれど、
素敵な人というには、僕は痛々しく感じる。
人を助け、感謝され喜びを感じていようが、その人の身体は時間が経っていくにつれて、
ボロボロになっていくのだ。
それが本当に幸せなんだろうか。
誰だって、自分が一番かわいいし大事だと思う。
だから自分のために自分を犠牲にしてまで人に尽くした結果、
気づけば体や心が疲弊して、ボロボロになってしまっている。
考えや実行していることは素敵だと思う。
ただ、唯一救えてない人が一人いるんじゃないかと思う。
自分自身だ。
自己犠牲というのは、読んで字のごとく、自分を犠牲にする。
自分の心や身体を削って、人に尽くすことだ。
心や身体が無限にある人などいるのだろうか。
いつか、すべて削れてなくなって、塵になってしまうのではないだろうか。
どうしたらよいのだろう。
どうするべきなのだろう。
僕が思ったことを話そう。
他人に尽くしたり、他人を救ったりすることができる人は、素敵で素晴らしい人だと思う。
だから、他人にするように自分にも同じことをしたらどうだろうか。
他人と同じく、自分にも尽くし、救ってあげてはどうだろうか。
つまり、自分を削りながら人に尽くしたり、救ったりするのではく。
自分を大事にしながら、人に尽くしたり、救ったりすればよいと思う。
あなたがいなくなったら、これからあなたに救われる人がいなくなってしまうじゃないか。
あなたはそれで、よいのだろうか。
自分が思う信念を大事に気楽にいこう。